SHIVAのエッセイブログ
Shivaの毎日をエッセイ風に…
私はいつも皆様のコメント、皆様のブログを行き来することで本当に多くの
勇気と気力を貰い、考えさせていただける環境に幸せな毎日を送っております。
しかしながら、日々忙しく、自身の時間をとることが非常に困難を極め、仕事用の絵
すら躓きを感じるしだいであります。
みなさまと接する中で、
自身の本当に書きたい絵に集中し、思いっきり書いてみたいという気持ちが胸に大きく膨らむように
なりました。書きたいものの技術と、自分の気持ちに素直に従ってやってみたいという勝手な願いからのものですが、当面の間、ブログを休止させていただくことを決意いたしました。
自身で納得がいくところまでやってみようと思います。
ブログは必ずまた再開いたします。その切はまたshivaを宜しくお願いいたします。
では、またお会いできる日まで^^
by shiva
そうなのだ。母の言うとおり、ロクな大人にならなかった。ゲーム自体が好きだったのではない。想像できる世界観が好きだった10歳の頃、私は夢中でロールプレイングゲームにはまっていたことがあった。形にしたくてもその技術はなかった。
PC系専門の大学を出たのも、そういう幻想的な絵をCGで書きたかったという単なる"書きたい精神"でいっているところがあった。推薦面接でも、
「我校を選んだ理由は?」
と聞かれ、
「CGで絵を書きたいから。」
と答え、"アホでも行けるから"という言葉を心で呟き、あまりに目的の無い答えに先生方は言葉につまっていた。
水彩等は未だにもっぱら苦手である。機械的な色と雰囲気を私は好んだ。
「大人になってもそんなんして過ごすつもりか?そんなんで食べていけるわけないでしょう!もっと勉強して、しっかりしていかないと!」
よく母にはこうして怒られたが、あまり悩むことも私の中ではなかった。
貿易事務も営業事務も秘書もやっては見たが、生きていく為には稼げるものの、いまいち面白くない。なんらかの状態で必ずこの夢にありつけるような気がして、不思議に母の言葉を生真面目に飲み込むことがなかったのだ。
暇があれば訳のわからない絵を書いていたような気がする。自身の想像の世界をどうしても形にしたい。
この前母の家に行くことがあった。自身の絵には躓きさえ見えている。本当に今が叶えるときだと思う。
そんなことをしているうちに家族もだんだんと協力的になってきた。そんなふうに怒っていた母も"ここはこの色にしてみたらどうかな?"と見てくれたり、"この環境で書きやすかったら、いつでも書きに家に来なさい"と言ってくれるようになった。
主人は"お!珍しい絵を書いてるね!"と目を向けてくれるようになり、へー!と喜んでくれたりする。
ロクな大人にならなかった私。名も無いwebデザイナーであるが、やはりデザインより自分の好きな世界観を書いてみたい。その気持ちは大きく、大きく自分の中で渦になり、塊となって胸を押すようになっていた。
思いのまま書いてみようと思う。それは客受けがいいとか、なんとか言われる枠を飛び越えて、あくまでも私の世界観として・・・・
そう言って後ろを向いた父の後ろで私と母は溜息をついた。何も水商売と言っても、キャバクラ嬢やホステスをするのではない。居酒屋にアルバイトに行きたいと、17歳の私は申し出たのだ。
"いかん!いかん!!"と父は一点張りですねてりゃ楽か知らないが、私にとっては死活問題であった。父のリストラと転職で家庭は危機にさらされた。
自分で高い交通意を払い、なおかつ、授業料もいつまでもつか?と言うところまで追い詰められていた。
なにせ父は、何でもかんでもすぐに"水商売!"と口にする。父にとってはレストランの"ウエイトレス"すら"水商売"であるという。水を扱うから水商売である。父はその一切合切を嫌い、私には絶対にして欲しくない職業であるという。だから出来るバイトの範囲がとても縮まった。私がしていたアルバイトはほとんど"ピザのデリバリー"や"すし屋のデリバリー"とバイクに乗って物を運ぶものばかりであった。今から考えればそちらの方が事故が付きまとう為、よっぽど危ない。
父は勝手な男である。自分はおねいちゃんが沢山いるところで飲むのが好きなくせに、娘にはさせたくないといったところであろう。
「なんであんなにうるさいわけ?お父さん。」
「あんたには絶対に向いてない職業やし、させたくないのもあるんやろうなぁ。」
母は皿を拭きながら私にそう微笑みかけた。
「そんなん向き不向きなんかやってみなわからんやん。水商売でホステスなって店持ってやっていかはる人やっているやん。それはそれで立派やと私は思うよ。」
「あんた、居酒屋も一般に比べると時給が高いからいきたいんやろ?まぁ、居酒屋ぐらいやったらたいしたことないけどな、ホステスさんとかなってくるとものすごい時給高いやろ?shivaちゃん、それだけ楽に稼げるっていうことはそれだけの犠牲を払うってことなんよ。私、自分のおばあちゃんが芸者の置屋やったり、夜の店やってやったから、その辺はようわかるねん。世界が違うんよ・・・」
別に夜の仕事をやりたいと願ったわけではないが、稼ぎがいいところに目がいってしまうのも確かだった私の17歳の頃。母の"犠牲を払う"という言葉が耳に響き、その後も居酒屋はなんとか父に承諾を貰ったものの、"水商売"という仕事に手をつけることは一切無かった。
そんな私に話が舞い込んできたのはもう結婚してからのことだった。私の女友達が大阪で店を持っていた。彼女はずっと昔から水商売をしており、念願の店を手に入れ、"ママ"になったのだ。
「今店の子がみんなインフルエンザで倒れちゃってるのよ。本当に申し訳ないと思っているんだけど、店、手伝ってくれないかな?ただでとは言わないよ。自給2500円出すから!」
「2500円!?えらく破格なんだねぇ?お金なんていいよ。で、何したらいいの?」
「いや、お金は払うから!バニーちゃんの格好をして玄関口で立ってもらって、お客様のお酒運んだり、食べたもの引いたりしてくれるだけでいいの。客につかせたりはしないから!」
たった1日手伝うだけだからと私は引き受けた。もう結婚もしているし、多少絡まれてもそれを跳ね除ける術ぐらい身に着けている年頃であるし、何よりも私が見たことの無い世界を少し覗いてみたいという気持ちもあった。
店は電気が無ければ真っ暗な感じのところであった。もう何人かお客様が来ていて、3人の店員が煌びやかな様相でお客についていた。私はバニーちゃんの格好に着替える為に更衣室を借りた。この時、バニーちゃんの格好を見るのと、実際に着てみるのと全く違うことに気付いた。
鏡に映った自分が異様に情けなく見えたのだ・・・・・
友人に指示されるがままに私は動いた。客の皿を引き、ボトルが入れば女の子の元までボトルを運んだ。そのほかは玄関口に立って、いらっしゃいませと客を出迎えた。
見渡す光景は異様なものであった。胸に手を入れられても、お尻を触られても笑いながら対応する店員。ボトルを入れさせる為に、バケツを裏に用意し、捨てに走っていた。
食べ物を指でちぎり、ぐちゃぐちゃにして食べる客と店員。落ちたものでも平気で皿に返していた。ハイヒールを脱ぎ、ソファーに足を伸ばして片手でビールを注いでいる女の子。高額プレゼントをねだり、その代わり自分の体をあげると約束した女の子。
彼女達は値段をつけられ、ここで働いていた。彼女達の値段はその日の私と同じ、2500円である。
派遣やバイトで1時間いくらと値段をつけられるのとはちょっと感覚が違う。自身がその値段で売られているような錯覚を起こすのだ。
私は目が回った。母の言っていたことがこの時、ようやく理解が出来た。高額に犠牲を払わないといけないということは、体をちょっと触られるといったことではない。"意識とプライドの犠牲"を払わなくてはならないのだ。多分、あの女の子達も好きでそんなことをしているわけではない。一人の女の子は酔いも入っていたのか、トイレでしきりに泣いていた。
煌びやかな裏に、情けなさが私を襲った。
"食べ物を指で粗末にするとバチがあたるよ!"と言われたことや、"お行儀よくご飯を食べなさい!"といった教育は根底から覆させられた。
どんな仕事でも辛いのは同じであるが、水商売の場合、ここが一番辛いところなのであろう。
父母の言うとおり、私には一番向かない世界であった。人間一人に値段なんてつけられない。人は尊いものだ。
早期に気付いた私は友人に"今後は手伝えない"と話をした。友人は"わかっているよ"というそぶりで笑って頷いた。
友人は人と話をするのが好きな子である。沢山の社交性を持ち、出会いが楽しく、この世界で上り詰めた。私にはとても勤まる世界ではなかったが、友人の一本筋通った目的と夢を、私は尊敬している。
個人個人で向き不向きがあるのだろう。私はその不向きをこの時初めて知ったような気がする。
やはり、安い値段でも自分の世界観を捨てることなく、こつこつする努力することでいつか稼げるようになりたい。友人には貴重な経験をさせてもらったと感謝している。
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最初は風邪であった。何故か喘息が併発し、熱が下がった頃から咳が止まらなくなった。発作がおきだすと、息を吸えるがはけない。常に喉の奥に何かが住み着いており、ごちょごちょっと動く。
動くと異物を感じた私の体は吐き出そうと咳が連発する。
咳だけならまだいいが、喘息が出てくると困るのが"睡眠"である。横にごろりと寝転んだとたんに咳が噴出す。何故か理由はわからないが、座って寝るほうが咳が止まる。ここ4日ほど布団に寝転んで寝ることが出来なかった。意識朦朧と、私は安眠を求めて病院へと向かった。
予約患者が優先とされており、飛び込みの診察は非常に時間がかかる。ゼコゼコと喉を鳴らした私は、呼吸器科へと回され、あまりの咳に熱を出していた。
もうこうなってくると、発作用の吸入器もなにもかも効き目がない。早く点滴をして欲しい。楽になりたい。しかし予約が優先と、元気なおじいちゃんやおば様方が次々と呼ばれていった。
それにしても平日に関わらずこの日は異常に患者が多い。しかも具合の悪そうなのはこのうちの私を含め3名ほどである。隣のおばさまは呼吸器科に通っているにも関わらず、声が通る元気なおばさまである。ぜー、ぜーと肩で息をする私の横で、"おーっほっほっほっほ!面白すぎるわ!"と大声で隣のおばさまと軽快に井戸端会議を開いていらっしゃる。
面白すぎるのはあんたである。一体このおばさまの呼吸器のどこが悪いのか?
天道よしみの"ちんど物語"かなんか歌わせたら天下一品であろうお声である。
看護婦さんは私が熱を出していた為、何度か"大丈夫ですか?順番を早めてもらいましょうか?"と幾度と無く聞きに来てくれていた。しかし私は断り続けていた。
なぜならば、看護婦さんが私のところに来てくれている間、おばさまの会話がぴたりと止まる。受付時からこのおばさまとは一緒であった。このときだけは耳をダンボにして、看護婦さんと私の会話を聞いているのだ。連番で私が一つ後に順番をつけていたからである。
この常識外れのおばさまのことである。
死にかけの患者が横にいたとしても、順番を早められようものなら、"あら!看護婦さん!順番がちがうんじゃなくって!?"と甲高い声で怒り出すに違いない。
さすがに私も人間である。こんなに弱っている時に喧嘩を買うほどの元気は無い。そんな元気があるのなら、病院などはなから来ない。しかしながらこのおばさまは非常に元気である。
看護婦さんも
「ここは病院ですので・・・・大変申し訳ないのですが声のトーンを落としていただけますか?」
と注意に何度か来ていた。
「あら!あらあらあらあら!私ったら!おーっほほほほほ!ごめんなさいねぇ。」
とおばさま。謝るのはいいのだが、もうすでに"通常デシベル"を超えた音量での返信であるため、全く持って看護婦さんの注意は理解不能であるとみた。
あらあらを連発し、白鳥麗子のようにおほほほほ!と笑う。何故にしてこんなに元気な奴が病院にいるのだ。気の遠くなるような時間を待って、やっと私とそのおばさまが呼ばれた。
私が第一診察室、おばさまは第二診察室であった。
先生が私の胸と背中の音を聴診器であてているときである。
「おーっほっほっほっほっほ!」
あのおばさまの笑い声が第一診察室まで聞こえてきた。先生もふっと顔を上げて、隣の部屋を見上げたが、またすぐに聴診器に集中した。
先生:「うん、これは喘息発作と・・・・・・・」 おばさま:「おーっほっほっほ!」
先生:「アレルギー反応も出ているから、発作薬だけでは・・・・」 おばさま:「おーっほっほっほ!」
もう一体先生が何を言っているのかわからない。先生もちょっと無言の時間を持ち、"ちょっと待ってね。"とカルテを書き出した。おばさまが立ち去るのを待っていようとしたのだ。
その会話を聞いているととんでもない理由でおばさまが病院に来ていることが判明した。
呼吸器科の先生が変わったのは1ヶ月ほど前であるという。第一診察室の先生は女の先生であるのだが、第二診察室にいるのは若手のジャニーズイメージの男前な先生であるという。
第二診察室先生:「昨日も言ったけれど、呼吸器には異常もないし、なにも原因がないんですけどね。」
おばさま:「胸が苦しくなって、咳もでますのよ!?もうちょっと検査をしていただきたいですの!」
第二診察室先生:「出来る限りの検査はいたしましたが、異常はどこにも見つからなかったんです。風邪の気もないし、所見が見当たらないんです。」
おばさま:「あらあらあら!恋で胸がくるしいのかしら!?おっほっほっほ!」
やはりこのおばさまは元気であった。私の担当の先生が私に話を続けた。
「今回ウィルス反応も出てるから、100日咳も患ってるよ。抗生物質も出そうね。3日間飲んだら絶対に楽になるからね。薬は多くなるけど・・・・・」 おばさま:「おーっほっほっほ!」
先生の言っていることがよくわからなくなり、私はしんどさも手伝って、
「先生・・・・・助けて・・・・」と嗄れ声でつぶやき、なみだ目になっていた。すぐに点滴を打ってもらいたいのに、おばさまの声でさえぎられ、話が前に進まない。声も出ない。
さすがの先生も切れたのか、第一診察室に回りこみ、
「元気なんだから帰りなさい!うるさくて迷惑よ!」
と怒鳴って怒ってくれた。この一撃にはさすがのおばさまもひるんだのか、ドアを開け閉めする音とともに静かになった。
イケメン先生目当てに病院にきたおばさまのせいでとんだ半日となった。先生の一撃のおかげで私はなんとか処方を受け、スーパー大袋いっぱいに入った薬を片手にフラフラと家路に着いたのであった・・・・
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「お母さん、それは無理やわ、すぐ弁当屋に電話追加分入れてもらってくれへん?」
「なんでやのん?」
それは既に葬式用のお弁当のふたに、油性マジックで"キミエ"と"カヨコ"と書かれてあったからである。。。。
キミエは祖父の姉に当たる人で、カヨコはその娘である。この親子だけは"葬式"だの、"法事"だのを"イベント"と勘違いしている。必ず誰よりも早く、人の家の不幸等があるといち早くカヨコが台所に入り込み、お弁当のふたに自分の名前と母親の名前を書いて帰る。
書いておけば自分の分だけお弁当が無いというトラブルにはならないからだという。
我一族はあつかましさでは隣村にまで伝わるほどのものであるが、この親子に関しては親戚一族の中でもぴか一であつかましい。
しかし親子関係は羨ましくなるほど仲がよく、カヨコはいつも"なぁ!お母ちゃん!"と母親のキミエと楽しそうに話している。
その日も弁当のふたに油性マジックで大きく名前を書かれ、いらだった母と私は"ちくしょう!やられた!"と、ふたをゴミ箱に押し込み、"ふた無し"でお客様に直接出してやった。
親子関係での気の強さと仲のよさはこちらとて負けてはいない。
しばらくして、帰ってきたカヨコは私にこうのたまった。
「いやぁ!私とおかあちゃんのお弁当があれへんわ!なんでやろ?ここにあったんしらんか?」
私はふふんといった感じで、
「うーん、知らんなぁ・・・・お母さん、ここに叔母ちゃんのお弁当なんかあった?」
「知らんな。」
母と私の息はぴったりである。母もそ知らぬ顔できうすにお茶を入れ、お客様に茶菓子を出しに台所を出た。私はカヨコが実家の台所を必死に探す姿に笑いをこらえ、台所を出ようとしたときである。
「まぁ、かまへんわ。母屋にもあるさかい、それ持ってくるわ。」
カヨコの言葉に私は仰天した。なんとカヨコは、我弁当に名前を書いただけではなく、二つ分余分に母屋に持ち帰り、まだ法事も始まってないのに先に母親と母屋で食べていたのだ。
弁当が足りなくなるはずである。
「おばちゃん、あかんやん、4つも持っていかれたらうち足りへんようになるやん!」
「shivaちゃん!かまへん!何個でも持って帰ってもらい!」
母もよほどこのあつかましさに頭にきたのか、鼻息荒くそう言い放った。
「かまへんがな、どうせこんな弁当いつも余るがな!なぁ、おかあちゃん!」
お母ちゃんと呼ばれたキミエはいつもそんなカヨコの横で、腹話術人形のようににやにや笑っている。
この親子、よほど普段貧乏食で我慢しているのか、"イベント弁当"に関しての執着心だけはすさまじいものを感じる。世の中、上には上がいるものである。まさか弁当を余分に母屋に持ち運んでいるとは、私も母も予想外であった。
帰り道、母と"なんちゅう親戚連中や"と話が盛り上がり、一族大嫌いに結論はたどり着いた。
「あんたは違う苗字になったからええわ。私なんかあそこに嫁入りしてんで!あいつらの親戚が自分やなんてぞっとするわ!」
母はそう言ったが、母のほうがずっとマシである。
私なんかもっと恐ろしい。カヨコとキミエの血がこの体に流れているのだ。そういえばこの日も勝手にカヨコとキミエの弁当のふたをゴミ箱に押し込んでやったのは母ではなく、私である。
血やDNAというものは本当に恐ろしいものだと実感する。私のすることもかなり"意地悪"であることにふっと気が付き、ぞっとした。
「あんたは私の血や!せやから気にしなさんな!」
しかし私と母も負けていない。キミエとカヨコのあつかましさが流れている上、母の気の強い血が流れている私って・・・・・・
「せやけど、あそこに行ったらほんまに低次元な争いしてしまうなぁ!なんでやろ?」
ほっときゃいいものを、母娘でかなり"低次元"な争いをしてしまったことで落ち込む私と母であった・・・・
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